家族の介護は自宅でやるべき、そんな先入観に悩まされていませんか?
「親の介護は、愛情を持って家族が自分たちの手でするべきだ」。そんな世間の風潮や無言のプレッシャーに、今まさに押しつぶされそうになっている人も多いのではないでしょうか?
オムツ交換や食事の世話くらい、愛情があれば誰にでもできるだろうと思われるかもしれません。
しかし、対象者の尊厳を守りながら、互いの苦痛を最小限に抑える「質の高い介護」は、決して素人が簡単に継続できるものではありません。
現在は作業療法士として長年リハビリや介護の現場に携わっている私ですが、かつては全くの素人として末期がんの母を看取り、身内だけで介護を抱え込むことの恐ろしさと限界を身をもって痛感しました。
この記事では、私の実体験と専門職としての視点を交え、「なぜ在宅介護では躊躇なくプロの手を借りるべきなのか」をお伝えします。
【在宅介護のリアル】プロに頼るのは恥?サービス利用は正当な権利です

結論から言ってしまうと、「介護保険の各種サービスを積極的に利用することは、恥ずかしくもなければ悪いことでもありません」。
個人的な意見として誤解を恐れずに言うのであれば、介護保険だけでなく、各種年金制度や生活保護など、使える制度はすべて使ってしまえば良いと考えています(もちろん、適正なルールの下でサービスを受ける前提ですが…)。
近年、介護保険の縮小や生活保護受給者への悪意ある言葉が飛び交っていますが、もとは私たちが納めた年金や介護保険料、税金が制度の原資です。公的に認められた権利なのですから、何も恥じることなく利用してしまいましょう。
頑張って在宅で介護をしているのに、要介護者本人だけでなく、あなたやご家族まで共倒れになってしまっては元も子もありません。
あなたと家族の人生を守るための正当な権利です。ためらうことなく、徹底的に活用すべきです。
介護保険を使いたいのに躊躇してしまう「3つの心理的落とし穴」

サービスの利用にあたり、なぜ私たちは萎縮してしまうのでしょうか? 多くのご家族と関わってきた経験から、いくつかの理由が見えてきました。
ここでは、多くの理由のなかから最も多く聞かれたものを3つピックアップしてご紹介します。
利用できる介護制度や申し込み方法を知らない
まずは、単純に制度や利用方法が理解できていない、知らないというケースです。
これは私たちのような医療・介護の関係者にも責任の一端があるのですが、私が作業療法士として勤務していた頃も、社会の制度を知らない方が本当に多数いらっしゃいました。
仕方ないですよね。学校で教えてもらえるわけではありませんから。
しかも、市役所でもこちらから尋ねるまでは詳しく教えてくれなかったりと、制度そのものが広く告知されていないのが現実です。
病院や施設で紹介されたケアマネジャーだけが情報源になるケースも珍しくなく、もっと分かりやすい情報の周知が必要だといえます。
「他人に迷惑をかけたくない」「世間の目が気になる」という羞恥心
サービス利用を妨げる大きな要因として、日本人特有の「恥の概念」があります。
この考え方は特に高齢者に多く、「他人に迷惑をかけることや、国の世話になるのは恥。そんなことなら死んだ方がマシ」と考える人が少なくありません。
団塊世代くらいまでこの風潮が浸透している印象を受けますが、一方でこの世代になるとサービス利用を「自分の権利」だと捉える方も増えており、実際には半々といったところです。
この「恥」という感覚は、要介護者本人が抱くケースと、その周囲の人間が押し付けてくるケースの2パターンがあります。
厄介なのは、要介護者のご家族など「周囲の人間」が恥だと感じるケースです。介護者に無理を強いたり、逆に介護者を非難したりする「エネミー(敵)」のような存在に発展し、在宅介護が破綻するきっかけになりかねません。
ちなみに私の経験上、一生懸命介護をしている人に向かって「施設を使うなんて恥ずかしい」などと口出しする人物は、基本的に自分では一切介護に関わらない無責任な人ばかりです。
たまに関わってきたとしても、半年に一回くらい「お見舞い」と称して自宅へやってきて、言いたいことだけ言って帰っていくパターンがほとんどでしょう。
このような人たちは、要介護者が亡くなった後、いかにも自分が協力したから在宅で最期を迎えられたかのように周囲へ吹聴して回ります。実際に手を動かして頑張っている介護者を心から労ってくれることなどないため、彼らの言葉は基本的に無視して構いません。
だからこそ、外野の無責任な言葉に傷つく必要は一切ありません。目の前の現実と、私たちプロの意見だけを信じて、ご自身を守る選択をしてください。
「親の介護は家族の手で」という昭和の古い常識と介護離職のリスク
いまから30〜40年ほど前の日本では、自宅でお嫁さんが義親の介護をするのが一般的な風潮でした。
30代後半から上の世代は、子どもの頃に母親がおばあちゃんやおじいちゃんのお世話をしていた光景を覚えているのではないでしょうか?
現在、介護を受ける世代が「義親を介護してきた世代」であることもあり、「自分の頃は家族が家で親を見ていた」と口にするのですが…。
景気は低迷し、収入は上がらず夫婦共働きが当たり前となった今の日本において、この考え方はまったく通用しません。
私のケースをお話しします。母親が末期がんとなり「最期を家で迎えたい」と言っていたとき、私は地元の工場勤め、父は土木系会社の部長職、兄弟は大学卒業間近という状況でした。
自宅で母の介護をするとなると、誰か一人が付きっきりになるわけです。要するに、誰かが仕事か学校を辞める必要がありました。
話し合いの末、一番将来性がなく給与が低かった私が仕事を辞めることになりました。当時の私の月給は残業代を含めても手取りで30万円ほどでした。
私には「作業療法士になる」という次の明確な目標があったから良かったものの、もしあのままノープランで介護離職をしていたら、確実に私の人生はそこで終わっていました。
今、あなたがこの判断を迫られたとしたらどうでしょう。手取り30万円の仕事を捨てて、親の介護に入れますか?
在宅で親の介護をするということは、これほど重い現実と負担がのしかかるということです。現在の社会状況に完全に即していないと思いませんか?
ここ30年ほどで、日本は想像以上に貧しくなりました。過去のイメージに囚われていると、あっという間に家族全員の人生が詰んでしまうこともあり得るのです。
サービス利用をためらう理由
- どのような制度があるのかや制度の申し込み方を知らないケース
- 日本人特有の「恥の概念」がサービスの利用を妨げている
- 昭和の時代までの古い「常識」にとらわれているため、サービスの利用を妨げている
具体的に在宅介護でどのような「崩壊」が起きるのかと、それを防ぐためにどうすると良いのかを次項から詳しく解説していきます。
家族だけで抱え込む在宅介護が招く「2つのリアルな崩壊」

在宅介護は、閉ざされた空間で24時間365日続く、果てしない日常です。
そこには、綺麗事や家族の愛情だけでは到底乗り切ることのできない、非常に残酷で現実的なリスクが潜んでいます。
特に、真面目で責任感の強い人ほど陥りやすいのが「自分さえ頑張ればなんとかなる」という思い込みです。
しかし、その思い込みは確実に、介護者自身の人生を根底から揺るがす危機を招きます。
私自身が母の介護をした経験、そして作業療法士として現場で数多くのご家族を見てきた中で、共通して直面するのが「経済的な基盤の喪失」と「精神的なパンク」という2つの崩壊です。
ここでは、限界を突破してしまう前に必ず知っておいていただきたい、在宅介護特有の生々しい実態について解説します。
介護離職による経済的基盤の喪失とキャリアの中断
本格的な在宅介護が始まると、突発的なトラブルや24時間の見守りが必要になり、それまでと同じ働き方を維持することは困難になります。
認知症による徘徊や頻回なトイレ介助で常に緊張状態が続き、睡眠が削られることで日中の仕事でもミスが続くケースは珍しくありません。
その結果、家族の誰かが「休職」や「退職」という苦渋の決断を迫られることになります。
これが、ニュースや新聞などで目にすることの多い「介護離職」です。
親の命や生活を支えることと引き換えに、自分自身のキャリアや将来の年金、つまり「人生の経済基盤」を破綻させてしまうリスクが発生してしまうのです。
親の資産だけで何十年も介護費用を賄える家庭はごく稀であり、自分自身の生活が立ち行かなくなれば、最終的なツケは必ず家庭全体に回ってきます。
絶対に自分ひとりのキャリアを犠牲にしてはいけません。
「家族の死を願ってしまう」ほど追い詰められる、密室介護の精神的パンク
もう一つの恐ろしい現実が、介護者が疲弊し、精神的に追い詰められてしまう状態です。
他人の目が一切入らない密室での介護では、要介護者である家族も遠慮がなくなり、わがままや理不尽な要求がエスカレートすることがあります。
介護をしていない親族や、まったくの他人には穏やかな笑顔を見せるのに、介護者と2人きりになった途端、暴言を吐いたり無理難題を押し付けたりすることは決して珍しくありません。
幸い私の母の場合、暴言や過剰な要求をしてくることはありませんでしたが、ネガティブな言葉を口にして落ち込むことが増えました。
しかも、そのネガティブな言葉は私にしか言わないうえ、毎日同じ内容を繰り返すため、当時の私はフォローのしようもなくかなり参ってしまいました。
作業療法士になった今であれば、ただ傾聴して同意することで上手く対応できるのですが、当時の私には何の知識も経験もなかったため、必死になって母の発言を「否定」してしまっていたのです。
発言を否定されると母も当然不機嫌になり、母と私だけで過ごす時間は、とても空気が悪くなることが頻繁にありました。
私が作業療法士として相談に乗ってきたご家族の場合も、「これだけ身を粉にして尽くしているのに」という虚無感と、理不尽な要求に対する怒りが入り混じり、ストレスが限界を超えてしまっているケースを数多く見てきました。
そして、介護の負担や暴言が増えるに従って、最終的には「家族の死」を願ってしまう方も少なくありません。
決して本心から要介護者を憎んでいるわけではないため、そんな恐ろしい考えを抱いてしまった自分自身に激しい自己嫌悪を抱いてしまうのです。
どうか勘違いしないでほしいのですが、介護の果てに「家族の死」を願ったとしても、それはあなたが酷い人間だからではありません。
逃げ場のない密室のストレスが生み出した、正常な防衛本能なのです。
「寝たきり」を早めるのは家族の優しさ?見えない機能低下「廃用症候群」の恐怖

私が作業療法士として特に強調したいのが、「過剰な介護による弊害」です。
多くの場合、介護をしている家族は要介護者に対して「疲れているだろうから」「転んだら危ないから」と考えます。
良かれと思ってベッドに寝かせたままにしたり、身の回りのことを全て先回りしてやってしまいがちです。
しかし、これが大きな落とし穴になります。家の中でベッド中心の生活になると、驚くべきスピードで筋力は落ち、関節は固まっていきます。
恐ろしいのは、家族にはその衰えが「年齢相応のもの」なのか、それとも「防げるはずの機能低下(廃用症候群)」なのかを判断する客観的な『基準』がないことです。
「最近よく寝ているな」と思っているうちに、気づけば自力で起き上がることもできなくなってしまいます。
家族の優しさが、結果的に本人の機能低下を見過ごし、寝たきり状態を早めてしまうという悲しい現実があるのです。
【実体験】オムツによる尊厳の破壊と呪詛の日々、限界だった私を救った訪問サービス
私自身も、母の介護においてこの「廃用」の問題にぶつかった経験があります。
すでにお伝えした通り、作業療法士になる前の私は工場勤務をしており、末期がんの母を自宅で看取ることになりました。
当時はリハビリはおろか介護の知識すらなかったため、本当に最低限の「お世話」レベルの介護しかできませんでした。
はじめの頃は母が自力で出来ることも多く、それほど介助を必要としていなかったのですが、病状が進行するにしたがって疲労感を訴えることが多くなり、ベッドで横になって過ごす時間が増えていきました。
今考えると完全に間違った介護方法なのですが、当時の私がそのことに気が付くはずもなく、あっという間に母は自分で立ち上がることも出来なくなってしまったのです。
立ち上がれない、歩けないとなると、介護の負担は驚くほど大きくなります。
作業療法士になった今なら、「歩けなくても車椅子でトイレまで連れて行き、排泄を介助すればいいだけ」と分かるのですが、当時の私にそんな発想はありませんでした。
「歩けない=トイレに行けない=オムツで対応」という流れになってしまったのです。
この「オムツ」は一見便利なように見えますが、実は大きな問題を抱えています。それは、「要介護者の尊厳の破壊」です。
オムツを使用するようになってから、母はますます元気をなくしてしまいました。
体は動かせなくても頭はしっかりしていた母にとって、オムツ内に排泄することはまさに絶望だったのです。
この頃から、母の口からはネガティブな言葉がまるで呪詛のように溢れ始めました。
それは自分自身に対する絶望であったり、介護をしている私への不満や文句であったり……聞いているこちらまで落ち込んでしまう内容ばかりでした。
そのような状態が続き、私も母も限界に近づいたころ、母の担当医師から訪問系のサービスを使ってみることを提案されました。
内容は「訪問介護」「訪問看護」「訪問リハビリ」の3つ。私は「状況が少しでも良くなるなら」と大賛成でしたが、当の母は少し消極的だったのを覚えています。
そんな微妙に安定しない状況で始まった訪問サービスですが、結果的にこれが大正解でした。
適切な介護や処置、リハビリを受けることで母も少しずつ前向きになっていきましたし、私自身も正しい介助の方法を学ぶことができました。
なにより救われたのは、自由になる時間ができたことです。24時間母に付きっきりで夜も満足に眠れていなかった生活の中で、たとえ1~2時間でも介護から離れる時間ができただけで、随分と心が軽くなりました。
さらに訪問スタッフの方々は、母のケアだけでなく、介護者である私の悩みや不安にも耳を傾けてくれました。
それで悩みが完全になくなるわけではありませんが、誰かに話を聞いてもらい、肯定されるだけでも心に溜まっていたモヤモヤが散っていき、心に余裕が生まれました。
このような経験からも、私は「長く在宅介護を続けるためには、訪問サービスを積極的に利用することが絶対に必要だ」と確信しています。
親の尊厳と介護者の人生を守る、躊躇なく利用すべき「3つのプロのサービス」

実際に私の窮地を救い、母が最期まで自宅で自分らしく過ごすために必要不可欠だった「3つの柱」となるサービスをご紹介します。
在宅介護を長続きさせる秘訣は、これらのサービスを「困り果ててから」ではなく、「まだ少し余裕がある初期段階から」日常の中に組み込んでしまうことです。
親に他人の介入を受け入れさせるためにも、元気なうちから関係性を作っておくことが非常に重要になります。
ここではそれぞれのサービスが、「どんな場面で、家族のどんな悩みを解決してくれるのか」という実体験に基づいた概要をお伝えします。
【訪問介護】排泄・入浴介助を手放し、家族の絆を取り戻す
身体介護(排泄や入浴の介助)や生活援助をプロのヘルパーさんに委託することは、肉体的な疲労を軽減するだけでなく、介護者の精神的な救済に直結します。
排泄の失敗への対処といった、互いにとって尊厳を傷つけやすく不満が爆発しやすい作業をプロに任せることで、母と私は泥沼の感情から抜け出すことができました。
また、定期的にヘルパーさんという「家族以外の風」が家の中に出入りすることで母も精神的に落ち着いていき、家庭内の淀んでいた空気がサッと入れ替わるのを感じました。
最も負担の重い作業を手放すことは決して怠慢ではなく、優しい心を取り戻し、家族の絆を修復するための最も有効な手段なのです。
【訪問看護】末期がんの症状変化や「死」への恐怖、プロの判断が孤独感を消す
末期がんの母を介護するなかで当時の私が一番不安だったのは、日々変化する症状や、母が感じる「死」に対する恐怖への対応でした。
素人である家族には、痛みのコントロールが適切なのか、呼吸状態の異変にどう対応すべきなのか、そもそも今の苦しみを取り除いてあげられるのかという正解が全く分かりません。
そこに訪問看護師が定期的に介入してくれることで、「今の状態は医療的に見て適正である」「この症状が出たら薬を増やそう」という明確な判断基準をもらうことができました。
24時間体制で医療のプロがバックアップしてくれているという絶大な安心感は、深夜のパニックや私の精神的な孤独感を根底から取り除いてくれたのです。
【訪問リハビリ】トイレ動作の再獲得と疼痛軽減、親が前向きになるプロの介入
当時は分からなかったのですが、今になって振り返ってみると、母のリハビリに介入した作業療法士と理学療法士の評価は間違いなく適切なものだったことが理解できます。
拘縮が始まっていた両膝と股関節、肩回りの可動域訓練や筋力増強訓練をはじめ、起き上がりから立ち上がりまでの動作訓練、さらにトイレまでの歩行・動作訓練を実施してくれました。
この時、スタッフがそのままトイレで排泄が終わるまで付き添って待っていてくれたため、母はリハビリの訪問中であれば、自分の力でトイレを済ませることができるようになったのです。
このことは、母にとって大きな喜びだったようです。目に見えて前向きになり、リハビリの時間を心待ちにするようになっていきました。
最終的に、私と二人の時でも安全に行える「完全な自立」にまでは至りませんでしたが、もしもっと時間があったなら、母は確実にトイレ動作を再獲得できていたことでしょう。
また、ベッド上での姿勢(ポジショニング)をプロが調整してくれたことで、母の身体的な苦痛や褥瘡(床ずれ)のリスクも劇的に軽減されました。
代表的な訪問サービス3選
- 訪問介護
- 訪問看護
- 訪問リハビリ
訪問系のサービスだけにこだわらなくても、デイケアやデイサービス、ショートステイといったサービスも非常に有用です。要介護者の状態によっては施設への入所も検討する必要があります。
まとめ:介護サービスは「逃げ」ではない!プロの力を借りて最期まで「家族」でいよう
本記事では、私自身の介護経験と作業療法士の視点から、在宅介護を行っている人に向けて社会保障サービスを利用すべき理由を解説してきました。
在宅介護は先の見えないマラソンのようなもので、家族に対して深い愛情を持ち真面目で責任感の強い人ほど、介護の沼にハマってしまいがちです。
家族のことを考えて行動するのは大切なことですが、介護をしているあなた自身をおろそかにすることは誰も望んでいません。
つまり、「自分の人生や心を犠牲にした介護は、決して長続きしないし、誰も幸せにしない」のです。
様々なご意見があるのは承知の上で、作業療法士としてお伝えしたいのは、在宅での介護に他人の手を入れることに罪悪感を覚える必要は一切ないということです。
プロの力を借りてあなたが心身の健康と余裕を保ち、ただの「家族」として親に優しく微笑みかけることができるなら、それこそが互いにとって最高の親孝行です。
一人で抱え込まず、まずはいま抱える悩みを担当医やケアマネージャーに伝えてみてください。
私たちのような専門家は、ご家族を支えるために存在しています。必ず、事態を動かす糸口になるはずです。
まずは、頑張り過ぎることを止めてみてください。肩の力を抜くと、違う景色が見えてくることもありますよ!